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『権三助十』(ごんざすけじゅう)は、 18世紀以降に成立したとされる講談『大岡政談』の一挿話である〔岡本, p.349-354.〕。『小間物屋彦兵衛』のエピソードの登場人物、駕籠舁(かごかき)の権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)を主人公にしたスピンオフ作品であり、歌舞伎、浪曲、映画として多く題材に取り上げられ、上演あるいは製作・公開された〔。映画化の際のタイトルを中心に『権三と助十』(ごんざとすけじゅう)とも呼ばれるが、これはもっぱら、この挿話を下敷きにした岡本綺堂の戯曲を指す〔〔、2013年1月11日閲覧。〕。 == 略歴・概要 == 「大岡越前」の通称で知られる実在の人物、大岡忠相(1677年 - 1752年)についての伝承・評判の類いを集めた講談、いわゆる「大岡政談』は18世紀ころから発生し始めるが、岡本綺堂によれば、『天一坊』や『村井長庵』、あるいは『髪結新三』『白子屋お熊』のエピソードと異なり、権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)の登場する『小間物屋彦兵衛』は、江戸および東京以外では、ほとんど知られていなかったという〔〔。歌舞伎の大舞台で『権三助十』を上演したのは、岡本の知る限りでは、1897年(明治30年)5月、東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)の春木座(後の本郷座)で、三代目片岡我當(のちの十一代目片岡仁左衛門)が「権三」を演じたのが最初だという〔。そのときの配役は以下の通り。 * 三代目片岡我當 - 駕籠かき権三/彦兵衛の女房おとく/大岡越前守(三役) * 二代目片岡當十郎 - 駕籠かき助十 * 五代目嵐徳三郎(のちの五代目嵐璃寛) - 小間物屋彦兵衛 * 十三代目中村勘五郎(のちの四代目中村仲蔵) - 左官勘太郎 講談本の類いでは、国立国会図書館蔵書にみる限りでは、菅谷與吉の「日吉堂」が出版した『大岡政談 小間物屋彦兵衛伝』(1887年)をはじめとして、1880年代に多く出版された『小間物屋彦兵衛』の一挿話に収まっている〔権三助十 、国立国会図書館、2013年1月11日閲覧。〕。岡本綺堂が書いた戯曲『権三と助十』は、1926年(大正15年)に初演された〔。 『権三助十』の最初の映画化は、岡本より早く、1923年(大正12年)8月1日に公開された、マキノ映画製作所製作・配給、後藤秋声(のちの後藤昌信)が監督した『権三と助十』で、市川幡谷が大岡越前守、片岡松太郎が権三、片岡市太郎が助十をそれぞれ演じた〔''権三と助十''(1923年) - 日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。〕。同作の脚本家は記録にないが、多くの映画化が、講談を下敷きに、オリジナルシナリオを標榜して製作されており、岡本綺堂の戯曲を原作にしたものは、わずか伊丹万作が監督した『権三と助十』(1937年)のみである〔、2013年1月11日閲覧。〕。 これらの映画は、比較的新しい一部を除き、2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月11日閲覧。〕〔主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇 、マツダ映画社、2013年1月11日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「権三助十」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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